1839[エクス=アン=プロヴァンス1906[エクス=アン=プロヴァンス

 ポスト印象派を代表するフランスの画家。1861年に親友のゾラに刺激されてパリへ行き、画塾アカデミー・スイスで学ぶかたわら、ルーヴル美術館でベラスケス、カラヴァッジョ、ヴェネツィアやオランダの画家の作品を研究した。

 1862年から、エクス・アン・プロヴァンスとパリを往き来する日々を送る。またパリでドラクロワとクールベの作品に出会い、1864年には「落選者展」を訪れた。また、当時カフェ・ゲルボワの画家たちの会合に参加し、ピサロに出会ったことがその後の作品に大きな影響を与えた。

 ピサロとの出会いにより、セザンヌは淡い色彩と緻密な画面構成を作品の主体とし、印象派の画家たちと一線を画すようになる。セザンヌは、印象派に堅固な形態と構成を与え、最大限に単純化したフォルムとこれに質感を与える色彩の融合を目指した。

 1883年から87年のエクスで制作していた期間は、自然のフォルムと構成を抑える傾向がいっそう強くなり、色彩によって形づくられた確固たる形態の中に可能な限り精神的秩序を表現しようとした。セザンヌが同じ画題に繰り返し取り組んだのも決して偶然ではない。《レスタックの眺め》《サント・ヴィクトワール山》がその好例である。セザンヌの目標は自然の姿をそのまま描くのではなく、「球形と円筒で」表現することだった。

 1886年ゾラと絶交。この痛手は、暗い室内で2人の人物が向きあっている《トランプをする人々》に影を落としている。こうした内奥性は晩年に特徴的なものであり、1880年ころから描かれる一連の、森の中で《水浴する人々》にしても、次第に重苦しいものになってゆく。この傾向は最晩年にますます強まり、暗い小さな色面を構築的に重ね合わせただけの、ほとんど抽象絵画ともいうべき、事物そのもののような画面が登場する。多作で知られたセザンヌは、晩年《水浴者》をテーマにした作品を多数制作したが。作品は画面が格段に大きく、形態はより抽象化されている。

 セザンヌの作品は、その後の近代絵画の発展を支える大きな礎を築いた。キュビスムの画家たちはセザンヌを先駆者としているが、彼の影響はそれだけに留まらない。セザンヌは、自然や感情から独立した法則に基づき、独自の現実性を構築することを絵画の新たな役割とした最初の画家であり、これこそが近代絵画の進歩を支えた原理である。

セザンヌのタイトル・カラーは、エスタック海をイメージしました。】