1834[パ  リ]  1917[パ  リ]

 フランス印象派の代表的画家。アングルの弟子ラモートに師事し、父の友人を通じてアングルとも出会い、強い影響を受ける。

 1859年からドガはイタリアに旅行し、ボッティチェリ、ラファエッロなどルネサンスの巨匠たちの作品に感銘を受ける。パリに戻ったドガは、様々な歴史画や《ベルレッリ家の肖像》など友人や家族の素晴らしい肖像画を制作したが、まだアングルの影響が感じられる。

 1860年代末から70年代はじめにかけて、ドガはカフェの常連となり、マネ、ゾラ、セザンヌらと出会い、交遊を深める。また、写真や浮世絵版画に触発され、新しい形態と構成の実験に取り組んだ。伝統的な画題をやめたドガは、現代的な主題を描くことに専念する。競馬《競馬場にて》、オペラ、バレーは、ドガの作品に繰り返し描かれたテーマで、中でも踊り子を好んで描き、楽屋や稽古場《バレーの授業》で見つけた踊り子たちの一瞬の動きを、スナップ写真のように捉えようと努力した。

 1876年に制作された《アブサント》は、評価が激しく分かれた作品である。ドガは印象派展に参加したものの、ドガ自身は印象派芸術の、戸外の光の下に対象を直接に捉えてゆく制作方法をとらず、常にアトリエで制作し、マネのように風景よりも人物に興味を持ち、空気と光の変化を観察するよりも動く姿を描くことを好んだ。

1880年頃からは入浴など日常のくつろいだ女性の姿を理想化させたり、官能性を匂わせたりすることなく描いた。裸体や踊り子に加え、ドガは洗濯女《アイロンをかける女》や婦人帽子店の売り子も頻繁に描いた。素早く巧みな素描家であるドガはパステルを好み、色彩の織物のような豊かな輝きに到達している。

 晩年は、ブルゴーニュ地方の風景に感銘を受け、谷や草原のシリーズを単刷り版画で制作した。

ドガのタイトル・カラーは踊り子や裸婦の輝く肌をイメージしました。】