1864[アルビ]  1901[マルロメ]

 フランスの画家、版画家。体が弱かったロートレックは14歳の時に再度の骨折事故により下半身の成長がとまり、奇形的な体形を余儀なくされた。4歳から絵を描き始め、デッサンにすぐれた才能を見せていたが、これ以後画作に専念するようになり、18歳の時、パリのボナ、コルモンのアトリエに通い、ドガを中心とした印象派の作品を研究する。1886年には、ゴッホと友人になった。

 1880年代末、ロートレックはモンマルトルの歓楽街、中でも有名なムーラン・ルージュに入り浸るようになる。この頃から作風はそれまでの印象派風から彼本来の線描様式へと移ってゆく。作品の題材は、《踊るジャヌ・アヴリル》《ムーラン・ルージュ街のサロンにて》など続々と開店したキャバレー、カフェ、娼家であり、そこに生きる芸人や娼婦であった。彼が描こうとしたのは、そこにうごめく人間そのものの偽らざる姿であり、当時有名な歌手や踊り子だったアヴリル、ギルベール、ラ・グーリュは、ロートレックの絵画に何度も登場しており、彼女たちの興行用宣伝ポスター《ムーラン・ルージュの踊り》も制作されている。

 印象派の影響を受けたロートレックは、すばやい筆遣いにより平坦で鮮やかな色彩を自由自在に操り、明瞭な輪郭線の人物像を描いている。また、浮世絵に対する興味はどの作品にも見られ、特にポスターの斬新な構図と平塗りの色彩にその影響が色濃く表れている。

 ロートレックは世紀末のパリを愛し、その芸術は基本的にはマネ、ドガのそれと同じく都会的な性格を有している。彼は天性のデッサン家であり、対象の素早い動きや表情の変化をとらえる才能は、油彩画にもよく生かされている。またドーミエ以後の最大の石版画家でもあり、これらは浮世絵版画の影響を見せている。大型石版による約30点のポスターも、ミュシャなどの当時流行し始めたアール・ヌーヴォー様式とは一味違う近代的な斬新さを見せ、グラフィック・アーティストとしての才能の証となっている。

ロートレックのタイトル・カラーは、うらぶれた場末ををイメージしました。】