1859[パ  リ]  1891[パ  リ]

 新印象主義を創始したフランスの画家。パリの富裕な家に生まれ、生活のために働く必要がなく、絵画に専念できた。幼い頃から絵を描き始め、1878年エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学した。
アングルの弟子レーマンに学ぶかたわら、アングル、ドラクロア、シャヴァンヌらを研究するとともに、1879年に行われた第3回印象派展はスーラに多大な影響を及ぼした。

 初期の作品はミレーの影響も強く受けており、1881年から1883年にかけて、田舎や農民の光景を描いた一連の作品を残している。最初の重要な作品《アニエールの水浴》はパリの政府主催のサロンでは落選したが、その後1884年に彼自身創立メンバーの一人だったアンデパンダン展に出品された。この作品にはすでに、スーラが受けた多種多様な影響が表れている。


 1884年の展覧会ではシニャックと出会い、2人は親しい友人となる。続く数年間、新しい点描法に興味を持つ画家たちが、スーラとシニャックのまわりに集まった。
 スーラの研究は、《グランド・ジャット島の日曜日の午後》で完成に至り、この作品は点描主義としても知られる分割主義の集大成と見なされている。この後にも、1888年から1891年には《ポーズする女たち》《シャユ踊り》《サーカス》など、非常に精巧な傑作を数点描き、それらのための写実的な習作やスケッチを残している。

 実物を観察し、アトリエで描き上げるというスーラの描画法は、印象派と彼との隔たりを暗に示している。スーラが目指したのは印象派の「経験主義的」アプローチにとって代わる「科学的」表現の開発だった。彼が用いた点描法という新技術は、シュヴルールが公式化した同時的対照の法則に沿った、細かい筆遣いによる原色の応用に基づいていた。

「科学的」絵画の確立を目指し、スーラは二つの研究を行っている。

色の応用という新しい方法の実験を行い、その一方で遠近法の伝統的な幾何学と比例の法則を基に、構図を精密に組み立てた。また、アンリの著書『科学的美学』に従い、スーラは《パレード》で横の線を強調し、静寂さを伝える一方、《シャユ踊り》と《サーカス》では斜めの線で構図に動きと活気を与えている。


スーラのタイトル・カラーは、斬新さと新緑の木々をイメージしました。