画家名 富岡 鉄斎
Daikan Yokoyama
様式・流派 日本画家
活躍国 日本
生年 1837
京都
没年 1924
京都
紹介  幼時より国学、漢学を学び、当時の文人のたしなみとして、18歳頃から絵を学んだが、流派を選ばず、ひろく先人の絵を手本とした。幕末に勤王学者として板倉槐堂(1822−79)、横山湖山らと国事に奔走し、その頃から文人画家として知られた。維新後、大和石上神社小宮司などをつとめたが、1882年、京都に帰り、在野の学者として、「万巻の書を読み、万里の道を行く」を実践し、悠々とその清廉な生活を送った。50歳を境として自己の芸術を確立し、晩年ますます多彩な色調に画境を深め、その画面にみなぎる豊かな実在感によって、近代日本画のなかで独自の位置を占める。1917年、帝室技芸員、同8年帝国美術院会員。『旧蝦夷(えぞ)風俗図』(1896、東京国立博物館)、『阿倍仲麿明州望月図』『円通大師呉門隠栖図』(ともに1914)などの大作がある。宝塚市 清荒神)清澄寺山内に鉄斎美術館がある。

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